つららボクササイズとは
原作と違い岸辺が回避した後の血の槍を1本ずつ折っていってる様子が「つらら相手にボクササイズしてるように見える」と揶揄されています。
もしパワーが凝固させた後の血も操作できるのであれば、最初にギリギリで避けた槍を操作して岸辺を仕留められていました。
そもそもそれを警戒しているなら岸辺が血を素手で触るわけが無いので、パワーは凝固させた後の血は操作できないと考えるのが自然。
つまり、回避済みの血の槍を破壊する岸辺の行動は謎でしかありません。
「回し蹴りをするためのスペースを確保してた」と言ってた人も見ましたけど、それだとデンジに最初から気づいた上で襲いやすいように血の槍を破壊しながらドアの前に戻ってあげてデンジはそれを待っていたというシュールなシーンになってしまいます。
結局その場で血の槍を破壊すると同時にデンジが襲ってきた原作と比べると、何とも不自然と言わざるを得ません。
中山監督を始めとした制作陣
今までアニメの改悪に怒ってきましたが、「俺達の」をカット、だいたい5分の言い換え、コベニの弾切れ改悪、そして10話の滑稽なボクササイズ岸辺を見て「実はちゃんと原作読んでないから今一つ理解できてないだけなのでは?」と思ってしまいました。
BGMが全然無かったり姫野にやたらクローズアップしたりするのは嫌いですけど意図は理解できるんですよ。
でもボクササイズなどの改悪に関しては好き嫌い以前に矛盾が生じかねない物なので、意図的にやってるんだとしたら怖いです。
なので、正確には「理解できてないからミスしてるだけであってほしい」です。
もっとも、それならそれで”スタジオの威信をかけるとは何だったのか?”って話になるんですけど、酷い作画ミスがあるので今更か・・・
MAPPAの威信は大丈夫なんでしょうかね?
コメント
原作を確認したら1発では全部破壊してないかとペットボトルの数と最初に壊した数が合ってない、デンジが後ろに来た時も殴っていました。
壊し終わった後にデンジが降りてくる時点で制作陣の解釈がおかしいですね
原作の描写が曖昧なので殴り終わった後なのか殴ってるのかはっきりはわからないですね
岸辺の腕にブラーがかかっていてデンジが斬りかかるコマで髪がなびいているので、明らかに殴っている最中にデンジが降りてきている事が分かります
注目されたくて、威信をかけた〜と表記しただけだと思います。なので、実際は威信かけてるという意識は持ってないとかありそう…。
万が一そんな軽く威信をかけるとか言っちゃうなら今後一切MAPPAの事は信用ならないです
大人でも見れるってのは、原作知らない、細かい伏線知らない、描写も詳しくないからどうでもいい
という人向けって事かも知れないですね
そこんところをしっかり作れていれば、神だと持て囃されたんですが…作者さんの見解を聞くとかって発送は無いんですかね
中山監督としてはアニメ好きじゃない人の鑑賞にも耐えうるって意味で言ってるんだと思いますよ
毎週楽しみに見て文句言ってるこの感覚、なにかに似てるなって思ったけど、実写版デビルマンとか見てる時のに似てるな、と。
なので自分の中では中山監督は立派な邦映画監督です。
その発想は無かった
そもそも「制作スタジオがガチで威信をかけた作品」に新人監督なんて絶対に起用しないよね
そこがよく分からないポイントです
今年1番楽しみにしてたアニメなのにここまで酷い出来になるとはね…MAPPA許せねぇ…
金はかかってるだけに余計もどかしいというね
https://i.imgur.com/uN9PMS6.jpg
中山竜「漫画を読んでいると、岸辺がどんなアクションをしているのか、実際には想像つかないと思うんですけど」と発言してます
マジで漫画をちゃんと読めてないんだ…と戦慄しましたね
原作者ディスってることにもなるし失礼すぎる
これマジでキモすぎる
中山監督のインタビューは一々癇に障ります
おめーだけだよ
おめーだけ読解力ねーんだよ
と思いました
普通に見ればわかると思うけど、あの血の槍は画面を縦断することに意味があって、その後の地下へ降下するエレベーターの両側の赤い照明と対になってる。
後者が狭い道(単一の選択肢)へと進んでいくのに対して、前者は画面の両端を封鎖する前に岸辺が折り砕き、攻撃の選択肢を複数化すること、つまりフレームを拡張することの演出の一環になってる。
結局は攻撃が失敗してデンジはメガネのフレーム内に収まってしまうのだけど。
岸辺が既成概念に囚われずに頭を使えって言ってるのはそういうことで、漫画からアニメに翻訳された時の演出の違いの意図も考えずに的外れの非難をするのは滑稽だと思う。
もっと頭を使いましょう。
攻撃の選択肢を増やしたいならわざわざ危険なところに突っ込んでいくのは愚策です
もっと頭を使いましょう
何的外れな事言ってんの?
「攻撃の選択肢を複数化すること、つまりフレームを拡張すること」の意味は相手の意識(視覚のフレーム)外に攻撃の手段を持つってことで、デンジはサムライソード戦で実践したでしょ?
まだアニメの方は未見だけど。
まさかアニメを見ずにコメントしてるとは思いませんでした
アニメの記事なので見てからコメントしてください
ああ、未見なのは最終話のことね。
コメント見れば分かる通り、10話は当然見てるに決まってるでしょ。
今気付いたけど、「危険なところ」ってのはアンチの馴れ合いの場であるこのコメント欄ってことでしょうか?
ついでに言うと、原作と違ってアニメで徹底しているのは岸辺の攻撃が常に死角から成されるということで、彼は攻撃の起点を相手や自分の体で隠している。
あと、選択肢の複数化については、岸辺に何度も命を絶たれたデンジとパワーが夜の一本道を歩くシーンで、頭を使って工夫することを思い付いた直後にパンアップして星空が画面一杯に映されて視覚的なフレームが広がっていく。
批判する前にちゃんとこういう映像演出を最低限見ないと。
回避した後の槍相手に何故ボクササイズしてるの?って記事なんですが、あなたは全く別の話をしている事が分かりました
今度からは批判する前に最低限記事を読んでくださいね
何でそう思考停止したがるのか分からないけど、その解答は最初にコメントしたでしょ?
「血の槍は画面を縦断することに意味があって、」「画面の両端を封鎖する前に岸辺が折り砕き、攻撃の選択肢を複数化すること、つまりフレームを拡張することの演出の一環になってる」って既に指摘したし、「漫画からアニメに翻訳された時の演出の違いの意図も考えずに的外れの非難をするのは滑稽だと思う。もっと頭を使いましょう」とも書いたよね?
一体あなたは何を読んで何を見てるの?
ひょっとして、もっと丁寧に書かないと理解できないのかな?
「フレーム」というのは画面の四角い枠のことで、パワーの血の槍は岸辺を挟んで画面両端に降りてきて「フレーム」自体を縮小しようとしている。
岸辺はその寸前に折り砕いて元の状態に戻してるわけ。
これを原作通りの描写で再現すると演出意図が伝わらない。
で、一方でアキのいる病室や監獄の通路の空間的フレームは常に狭くて、言わば一つのことしか見えない近視眼的な状態になってしまってる。
現に第4話における病室でのデンジの視線の動きと比較して、アキは姫野の妹が入室するまで一度も窓の外に目を向けない。
ちなみに「窓の外」も作品全体を通した総合的な演出となってるので、ちゃんと見た方が良い。
めっちゃ早口で言ってそう